盛先生から言われています。
「古典は大昔に死んだ人じゃないよ。その本は生きている人が書いたのだから。その生きている人が書いた言葉だから、話しかけられているのも同じ。最高よ〜。となりの兄貴かもしれないよ。」
ということで、私も結構古典読んでいるのですが、まあ面白いです。
今は抱朴子を読み返しているのですが、抱朴子の内編の第1編の最初に玄が出てきます。玄は老子の最初にも出てきます。2つの書物で最初に扱われているのは、重要な事に違いありません。
玄という字のなりたちは、
・深く隠され、遥かなるさま。
という事で、地球レベルだと、我々が目にする自然の妙だったり、宇宙レベルだと、宇宙の成り立ちみたいなものだったり、もっと上のレベルだと、この宇宙そのものを創ったもの、だったりを指してます。
気功の出発点はそこなのですよね。
私は幼稚園の頃から星が大好きで、宇宙の本とか、原子の本とか良く読んでました。小学生では天文科学クラブに所属し、天文学者に成りたいと思っていました。今になって方向が戻ってきたという感じがしています。
宇宙だったり、自然の美しさだったり、人の素晴らしさだったりの表現している映像がありました。スイスの物理学者みたいです。抱朴子を書いてる葛洪さんも、今の時代に生まれていたらこんな画像を駆使しているのだろうな〜と思います。(動画はその人の予告編です。予告編はお金はかかりませんので、ご安心を。)